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名古屋高等裁判所 昭和31年(く)2号 判決 1956年4月30日

少年 丸山太郎(仮名)

抗告人 少年

先ず一件記録を調査すると、右少年は(一)昭和三十年十一月六日頃、名古屋市中村区堀内町三丁目十三番地北海道拓殖銀行名古屋駅前支店の自転車置場において○西○一所有の中古自転車一台(約三千円相当)を、(二)同月八日頃同市○○区○○通り○丁目○番地○藤○方玄関先路上において同人所有のシルバー・ビジヨン五十三年型スクーター一台(約四万五千円相当)をいずれも窃取して、愛知県中警察署員に逮捕され、その結果名古屋地方検察庁から原審裁判所へ送致せられたものであること、少年は警察、検察庁においては勿論家庭裁判所においても終始自分は本籍神戸市○○区○○町○丁目○番地、住居不定、無職、山○○、昭和十一年六月十七日生である旨供述していたので、その間当局からその身許につき神戸市○○区役所を始め、神戸地方検察庁、警察庁及び兵庫県、神奈川県、京都府、大阪府等の各警察本部の刑事部鑑識課その他に照会の手を尽くしたが、いずれも該当者見当らず、そのため結局昭和三十年十二月十五日の原審裁判所における審判期日には保護者に対する呼出がなされず、従つてその不出頭のまま審判が行われ、同日本籍、住所、職業、氏名等いずれも前記のとおりのものと認め、少年を少年院に送致する旨の保護処分決定が言い渡されたものであることが認められるのであるところ、当審において本件抗告の趣意にもとずき更に事実の取調をした結果によれば、右少年は真実は本籍静岡県○○郡○○町字○○四千○百○七番地、住所不定、無職、丸山太郎、昭和十一年六月十七日生であつて、父丸山聯平、母同みさをは共に右本籍地に健在であり、右少年も昨昭和三十年六月頃までは父母の許に起居していたが、その後家出し、諸所を徘徊して今日にいたつたもので、従来係官に供述していた本籍、氏名等はいずれも真実ではないことが確認される。

して見ると、少年保護事件の審判期日には少年審判規則第二十五条第二項により少年の保護者を呼び出さなければならないものであるこというまでもないから、原審が前記審判期日に右少年の保護者である丸山聯平を呼び出さないで、当日審判を行い、これにもとずいて前記保護処分の決定をしたのは、その原因はともかくとして、畢意違法たるを免れない。ただしかし少年法及び少年審判規則の規定の文言、趣旨等からしても、右のような違法はいまだ決定に対するいわゆる絶対的抗告理由をなすものではないと解するのが相当であるところ、記録を調査し、当審における事実取調の結果を参酌の上、右少年の素質、行状、教育の程度状況、経歴、環境、心身の状況、不良化の経過程度、事件の関係、保護者その他家族、関係への経歴、職業、教育及び生活の程度、能力、性行、家庭の情況その他諸般の事情を総合して考えると、前叙の事情その他申立書に記載の事実を勘案しても、原審が少年を少年院に送致する旨決定したのは相当であると認められるから、前記違法は結局いまだ右決定に影響を及ぼすものではないといわなければならない。そしてほかに原決定にはこれを取り消さなければならない程重大な事実の誤認も、処分の著しい不当も認められないから、本件抗告は結局理由がなくそれ故少年法第三十三条第一項、少年審判規則第五十条によりこれを棄却することとし、主文のとおり決定する。

(裁判長判事 高城運七 判事 柳沢節夫 判事 中浜辰男)

別紙(原審の保護処分決定)

昭和三〇年少第七七五二号

送致決定

職業 無職

少年 丸山太郎(仮名) 昭和十一年六月十七日生

本籍 神戸市○○区○○町一丁目以下不詳

住居 不定

主文

少年を特別少年院に送致する。

理由

一、事実

少年は

(一) 昭和三〇年一一月六日頃、名古屋市中村区堀内町三の一三北海道拓殖銀行自転車置場に於て同市○○区○○町○の○○西○一所有の中古自転車一台見積価格金三千円相当を窃取し、

(二) 同月八日頃同市○○区○○通○の○○藤○方附近路上で同人所有の中古スクーター一台見積価格金四万五千円位相当を窃取したものである。

二、適用法令

(一)、(二)につき各刑法第二三五条

三、保護処分に付する理由

少年は転々として定職に稼働していないこと、保護者の所在が不明であつて少年に対し適切な指導監督をなす者が欠けていること、少年は再び非行に赴く虞が大であること等を考慮し、少年院送致を相当と認め、主文のとおり決定する。

四、主文第一項(少年法第二四条第一項第三号、少年審判規則第三七条第一項、少年院法第二条適用)

(昭和三〇年一二月一五日 名古屋家庭裁判所、裁判官 安達昌彦)

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